日記

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物ではなく心


先日、誕生日の近い友達と会って、プレゼント交換をした。

私は、動く人形に自分で描いたものと、靴下を選んだ。

友達が出したものは古い新聞のコピーと、そのままだと、読みにくいから、と、パソコンで打ってくれたものだった。

その新聞の切り抜きのコピーには、涙のあとがぽたりとあった。


その新聞には、多くの困難を乗り越えた強いコスモスの散文詩。

そこには、多くの心の言葉の力があり、私は思わずひくひくなるほど泣いてしまった。

と、同時に自分が恥ずかしくなり反省をした。


本当のプレゼントをいただと、心から思った。
本当の プレゼントは、友達の存在だと、感じた。









甥っ子4才
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まっちゃんも丸亀製麺行く?
と、甥っ子<4才>から電話。
あーご飯食べちゃった。
また行こうねと、電話を切った。

なんで私を丸亀製麺に誘うのか謎すぎて、姉に聞いてみた。

姉<まっちゃんと食べたいんだって>と。

会うと照れくさそうに笑う甥っ子。

<冷たいぶっかけうどんと、かき揚げがおいしいよ>とのことで、約束し丸亀製麺へ。
おいしかったので、◯◯ちゃんおいしかったー!
と、話したら恥ずかしそうに笑っていた。

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SLマン、甥っ子は卒業した





尊敬する私のおばあちゃん

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私が20代のころ、私は実家に帰って来て休んでいた。
おばあちゃんは、毎日勉強をしていた。
時には英語。
そして布で切り張りをしていた。
その集中力は、いったいどこからやって来るのか。
当時私もわからなかった。
魚に、はまれば、毎日魚を作っていた。

ズーンと沈んでいたけれど、おばあちゃんのそばにいれば救われた。
それは、おばあちゃんのアシスタントになれたから。

<まっちゃんつまらないのかな?そういう時は、えいってね、なにかを描いてみるとすっごくたのしくなるよ>

純粋な気持ちに涙がこぼれたことを思い出す。

私が話すことはさえぎらずただ聞いてくれた。

私は当時不安でたまらなかった。

それは、おばあちゃんはわかっていたようで、まっちゃん大丈夫だよ。生きてっと楽しいことがあるよ。
と、にっこり私の目を見て言ってくれた。

おばあちゃんみたいなおばあちゃんになりたい。

強くて優しい人。
弱ければ本当にやさしいと言えない。

でも、オバケが怖いおばあちゃんだった。






DMデザイン
竹内巧、竹内みずよ

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DMが出来上がった。
私の家にある木彫りオブジェたちにみえない。
それは私だけではなかったようで、あれほど怖がっていた姉に見せると、見に行くよ!とさわやかな対応。

「あんなに怖がってたやつだよ!」
「え?!かわいいじゃん!」
それは、私の力ではなくデザインの力なのだ。
それを力説した。

本当に竹内巧さんそして、みずよさんお二人には感謝してもしきれない。

とっても仕事が丁寧でとっても優しくて二人がいるだけで癒された。

一人でやっていたら発狂していたことでしょう。

立体ということもあり、お二人はうちにロケにも来てくれた、何度も打ち合わせもしていただいた。

竹内夫婦がなんだか大先輩に思えてきた2018年夏。

竹内巧 HP
竹内みずよHP




サスペンス
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私はサスペンスが好きだ。
姉がいたときは、とても迷惑がられていた。
<まっちゃん!またー?二時間はやめてよ!!>と。
姉はそんなことをいいながらその間はネイルをやっていたりしていた。


サスペンスといっても、あまりにも怖い洋風のものではなく、崖ですべてのストーリーを話してしまうような素直なサスペンスが好きだ。
安心して見ていられる。

アンフェアでさえ、こわい。
篠原涼子が、アンフェアには、アンフェアを。。。
と、言っていた。
そうしないと、アンフェアな人たちには勝てないのかなぁ。
フェアにアンフェアに勝ちたいな。

ところで、おとり捜査官。。。
やらないかなぁ。

わかりやすい日本のテレ朝サスペンスは、正義が必ず勝つから好きなのかもしれない。

実際の世の中は矛盾やアンフェアがあるわねぇ。
そんなときに、サスペンスのように正義が勝ってほしいなと切実に思う
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りんご
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だいぶ前に見た、インド映画のりんご。
また見たくなった。
小さな映画館でやっていた。

ちょっと調べてみようかと思った。

高校生の頃から一人でも
映画館で映画を見た。
なんとなく映画館が好きだった。
昔はぴあを買ってなんとなく見に行っていた。


ぴあも買わなくなっていて、なんとなく引き込まれて入った映画。
なんとかの森だったような。。。
人数もまばらで、音楽がなんとなく小さく流れていた。
なんとなく怖い。

映画がはじまり、だんだんわかった。
これは、ホラー映画というやつだ。
したしらべしすぎるのもつまらないけれど、ジャンルくらいは調べないと。。。


と、映画館から途中退場。
こわい。。。

怖すぎて友達に電話をしたら、大笑いされた。

何て言うタイトル?と聞かれ、、なんとかの森.......

おおよそわかりそうだよとのこと。
こわい映画はダメなんです。

りんご探そう。
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落ち葉

みずみずしいみどりの葉っぱもきれいだけれど、紅葉の時期の葉っぱの方がわたしは好きだ。



落ち葉をよく拾う。

先日母は、日課のラジオ体操へいつものように出掛けたらしい。

<あれ、下杉さんのおしりになにかついてるわよ。
落ち葉かしら。>

とってもらうと柿の種だった。

前夜の夜寝ながら柿の種をボリボリ食べていた。

柿の種って!!!ばぁさん!

人のことをいえないわたし。
肺炎になった友達にやらかしたことがあった。
年賀状に堂々と柿炎はやくよくなりますように。
と書いていたわたし。

下杉さん、、柿炎で正月そうそうわらかしてもらいました。
わたしは、しばらくなんのことかわからなかった。

親子は似るのか。。。

そう思うとわたしもおしりに柿の種をつけて歩く日も遠くはない。

すべてが惜しい親子。
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苦しみの向こう側には
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私は二十代とてもくるしかった。

やりたいことが夢のままで終わると思っていた。

昔は誰にも心を開かない私だった。


人は人のなかでみがかれることもある。

人の前を明るくともすと、不思議と自分の目の前もあかるくなる。




今振り返るととんでもなくぶっ飛んだことをしていたり、今ではできないことをやっていたりもした。


例えば大人が木を登っているような感じ。


苦しみや悲しみ楽しみ喜び


すべてに意味があったことを今かんじる。


これからもきっとその繰り返しだと思う日々。


たくさんのことを経験し乗り越えていきたい。


大木のような人になるには、たくさんの経験とたくさんの感情を必要とすると思う。

根っ子にたくさんの心の栄養をつけていきたい。


腹の脂肪は減らしたいけれど、白飯がうますぎる。


太りすぎて誰だかわからなかったといわれたこのごろ。

デブライキ!
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PET
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うちにいるたねこさんは、自分のことを猫だと思っていないように感じる。

具合が悪い時にはナースたねこになる。

ある朝目が覚めると、枕元に違和感とあつい視線を感じた。
もしかしておばけ?

たねこさんが首をかしげて立っていた。

心配性で怖がりなタネコさん。
でも、家族の誰かが体調を崩すと普段じいさんのことを噛みついているのに、じいさんの股ぐらで撫でられまくっている。

人の心のように怒ったりしょんぼりしたり、猫にも表情がある。
タネコさん、ナースになるとどんなに眠りこけていても、ついてくる。

犬みたいな猫。

petだと思っていたけれど、家族のことを全部知っているのはタネコさんだけのような気がする。

うん◯したあとは走ること走ること。
早く一刻も早くかたずけてー!
といっているようにかんじる。

枕元にいたのが、見知らぬオバケじゃなくてたねこさんで本当にホッとした。


距離ではなく、心
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私の本質を見ている人は、どのくらいいるのだろうか。

たくさんのフィルターは、たいていはかんけいなどないのに、大人は気にしすぎる。
なんとなく離れた人を時々は思い出す。


こどもはなんのフィルターもなくまっすぐな質問をおもったままをぶつけてきて、それに納得してくれる。

私は甥っ子に遊んでもらっているし、多くのことを教えてもらっている。

疲れるけれど、その純粋さには大人はかなわない。

子供と遊んだあとはなぜなのかわからないけれど、清々しい。
時にはけんかもする。

いうことを聞かないでかにパンを食べる甥っ子を怒り混じりで、カニカニカニカニハイハイハイ!!!!!

甥っ子はニコニコして言うことを聞いてくれた。
言葉遊びを不思議に思った。

意味なんてなにもない。
そこにある気持ちに反応してくれたのかなと思う。


心は距離ではなく、時間でもない。

そんなことをあらためて甥っ子を通して感じた。

甥っ子は魚しか食べない。
それをみて、わたしが目の前にいって、いろんなものを食べていると、、、、、、、
まっちゃん、、いっぱいたべるねぇ。

ありのままの言葉に笑ってしまう。

甥っ子に健康で元気でまっすぐに育ってほしい。
願うことしかできない。

願うことはたくさんある。

また、信頼するデザイナーさんとすこし距離ができることを知った昨日は涙が流れた。

退職してしまう人のときには、数日寝込んだ。

でも、私はわたしのがんばる姿を見てほしいとたちあがれた。

誰とでも、家族でも、親戚でも、距離ではなく、心の近さや、自分がその人をどう日々思い仕事や生活ををしていくかにかかっているかだと私は思った。

心は誰にも変えられない。

甥っ子が帰ったあと玄関にかえったときに
姉に渡したトーマスのラムネのひとつがおいてあった。
その顔は満面の笑みだった。

笑顔は、魔法。
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ものもらい
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目が痒くて痒くて痛くて痛くて、眼科に行った。

ずいぶん前に行ったときはとても混んでいたが、とてもすいていた。

名前を呼ばれ、中にはいり、目のなにかを計り、眼圧とやらをはかる。

「風が目に当たりますが、何でもないのでそのままでいてください。」
と。

いつも飛んでしまうから、またわかっていても飛んでしまうと思ったら、やっぱり飛んでしまいビクッとして、目を閉じまくってしまった。

左目が腫れていて、もともと細い目がさらに細くてなかなか眼圧をはかれない。


お姉さんが、まぶたさわってもいいですか?

はい。

おもいっきりまぶたをグイッとされ、またもや風が。

またまたビクッとして、閉じてしまった。

お姉さん舌打ち。

したの方を押さえます。と、申し出た。


すごいことに。

そして、風が。

それでもまたまたビクッ。
飛んでしまい、それでも必死で目を閉じてしまい、、、、、、


眼圧いいか。。。。。。。。

センセー!眼圧なしでお願いしまーす。



目に風はビックリするし、目の細い私には困難なことだ。

左目のみ悪くてガチャ目。


目薬のおかげでものもらい、殴られたボクサー状態からは、だいぶ抜け出せた。
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芋を洗う

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私は、松下幸之助を尊敬しています。


ーー松下幸之助 「道をひらく」ーーーーーーーーーーーーーーー


このごろは、あまり街中では見受けられなくなったが
それでも、ときどき思わぬところで
昔懐かしい芋洗いの風景にぶつかることがある。



大きな木桶に芋をいっぱい入れて
その桶の縁に上がりこんだ若者が
二本の丸太棒でヨイショ、ヨイショとかきまわす。


その力に押されて、芋は上から下へ下から上へ
そして右に左にと移動して、大芋小芋とりどりの姿が
現れては消え、消えては現れてくる。


上にあるものとても、いつまでも上にいるとはかぎらない。
また下の芋も、いつまでも下積みでいるとはかぎらない。
やがては上にあがってくる。
下におりてくる。



何だか人生の縮図みたいである。

人の歩みには大なり小なり浮沈がつきまとう。

上がりっ放しもなければ、下がりっ放しもない。
上がり下がりのくりかえしのうちに
人は洗われみがかれていくのである。


だから、たまたま上にいたとて、おごることはすこしもないし
下にいたとて悲観する必要もない。
要は、いつも素直に、謙虚に
そして朗らかに希望をもって歩むことである。



おごりの気持や悲観の心が出てきたとき
芋洗いの姿を思い出すのも、また何かの役にたつであろう。
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ーーー松下幸之助 「道をひらく」ーーーーーーーーーーーーーーー





こども
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子供と遊ぶとついつい本気になってしまい、その日は寝ること寝ること。

子供はみんなをつなげる不思議な力を持っているなぁと、感じる。

いつもいる人がいないと、ばぁちゃんは?
じぃちゃんは?
まっちゃんは?

みんなでいこ。

そんなふうに話ながら、前を歩く。

なにかもめたことを笑い話でしていると、嫌な様子で、えーーーん!
と、絶叫。

大人たちは、やめる。

純粋でまっすぐなこどもの心に触れると、こちらが優しくなれる。

でも、毎回私の遊び方はやり過ぎて、怖がられてしまう。

やめてー!

と。言われるのでやめると、、、、、


まっちゃんもういっかいやって。

やめてー!

繰り返しのエンドレス。

不思議なこども。

まっちゃんもいこ。

そんなふうにちいさいこどもに言われるとかわいくてたまらない。

大人になって忘れている大切なことに気づかせてくれる宝。

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音楽の力
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音楽を生で聴くことは、学生時代はよくあったけれど、お客様たちにライブなどでなにげなーく押されて結局聴くことではなく押してくるおしかたや、まわりの盛り上がり方に目がいってしまうことが多かった。


早い番号ではいっても、いつも友達とはぐれて後ろの方になっていた。


その方が落ち着いて聴くことができた。


友人が楽器をひく。
時々、ライブにいかせてもらう。

音楽の力をいつも感じて泣いてしまったり、笑ったり、こらえたり、心は忙しい。
たくさんの音は、こころを豊かにしてくれたりこころを癒してくれたり、こころを繋げてくれる。

目には見えない不思議な力。


演奏者は体も心も顔も声も全部を使って音を出しているように感じる。

知っている曲でも生で聴くとその時のそこの空気やその時のその人たちの気持ちを感じる。

音楽の力は、素晴らしい。
そして、音を作ることができる人も素晴らしいなぁと思う。

音楽の力よ。

芸術は、人と人をつなげるもののように私は感じる。

それは、すべてのことに共通点があると思う。
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洋服改造計画
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母がよく洋服や帽子を改造計画をたてて改造を実行してしまう。

帽子を改造したときは、なんどもやっていて、最後は謎の形になり、その帽子はいつのまにか解体されていた。
あの帽子の布はなにかにまた改造されたのかは、わからない。

洋服も改造する。
サイズが合わないといって、一日中やって、いろんなところから布を切ってあてがっていた。

最後に着てみると、、、

胸がはちきれそうに。。。

なにかを思い付いた様子で、、、

あ!
ブラをはずせばぺたーんだから、そうしよう。

志村けんじゃないんだから。。。。。

母の日だった昨日、姉からカーネーションが届き、義理のあねからもカーネーションが。

これでわたしがまたカーネーションをあげてもなぁ。

お好み焼きをごちそうして、いつもありがとうと伝えると、ニコッとしてこちらこそありがとうといった。




家族は、いろんなことがある。
その中のいろんなことが、嫌でたまらないときもある。
理解したいのに磁石のように反発しあったり。。。。。

そこには、感謝をそれぞれがなくしたときに、生まれるように思う。

何度くりかえしても、このおもいはくりかえしてしまうのかな。

母と父がいなかったら、わたしはいまここにはいない。

あたりまえのことだけれど、あたりまえすぎてけんかをしたり、いつまでも過去をひきづりあい憎しみあう。

どんなに苦しいことがあってもいまここにいることにあらためて感謝できた日だった。

母の日よありがとう。



父の日は、先にすませた。

父の日がどうでもいいわけではないけれど、うらめしそうに見ているので、、、、、、


二人とも長生きをして仲良くいて欲しい。

会話かみあっていませんけれど!

いいのね。。。。。
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テレパシー
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テレパシーというものを、よく感じる。

心のアンテナのようなものかなぁ。
それは、友達のことを思っていると、その人から連絡が来たり。なんとなく気になって、連絡をすると私に連絡をしようとしていたと聞く。

不思議だな。

心は摩訶不思議。

なにかを感じる人には声をかける。
そういう人は、たいていたくさんのことを経験して乗り越えている人。

私もたくさんのことを乗り越えていきたい。

脳はシワがある。
年を取るとシワもできる。

心にもシワがあるのかな。
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ライキとは。
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ライキってるなぁ。
と、思う。
ライキというのは、よくおばあちゃんが太っている人のことを話すときに、デブライキ。
と、言っていたからだ。

昔は痩せていたから、今の私をおばあちゃんはきっと、まっちゃんライキってるなぁと思われているだろうな。

痩せすぎて心配されたていたけれど。。。いつのまに。
たまてばこ、あけちゃったかな。

ライキ。

ライキってなに?
今でも意味はわからないまま。
わからない。
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バラの花
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不思議な時にそのひとはやってきて、自分で育てたバラを、置いていく。
たいてい私が辛いときや、むくわれたとき。

何でわかるんだろう。


私にあまり声をかけず、正子ちゃんに。
と、だけ伝言をし、すぐに帰ってしまう。
にげあしはやい。


はじめてうちの住宅にこしてきたときもよく覚えている。

母が、前に役員をやっていたから。


その時は母は出かけていて私が対応した。


なんとなく、まっすぐな印象がした。



そのあとその人を知るたびに、まっすぐなひとだなぁと、なおさら思う。

ベランダで、バラの花を咲かせてしまうマホウツカイ。なんの粉を使っているのかな。


中身はとっても乙女。
話すことは、男前。


本当のことは、心から優しいひとだということ。


昔から感じていた心は本当の真心の人だったこと。


真心を送り続けること。
簡単なようで、簡単ではない。
反応がなくなると、やめてしまう。

そのひとは違った。
私は反応できないくらいだった。
心のなかでありがとう。と、思うことしかできなかった。

今日は、追いかけてありがとうございますの気持ちを伝えた。



かっこいいなぁと私はいつもいつも思う。


きっとそんなことを伝えたら、私の肉をつねると思う。
そういうかわいらしいご婦人。

いつも優しい気持ちをありがとうございます。

バラの花。

なににもたとえることはできない。

そのご婦人も、バラの花も。

お腹の肉も。



小学生のころ母の日にカーネーションを買いに行って売り切れていたので、バラ一輪を買ったら、花屋のおじさんに、おかしなことをいわれた。
どうやら男だと間違われていた。

キミ、キザだね。
好きな子にあげるのか!!
今時の子供はませてっからなぁ。

固まりすぎて、私はなんの言葉も発することができなかった。

ただただ、その勘違いが無性に恥ずかしかった。
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